かつて炭鉱街の銘酒と呼ばれた北の錦

昭和20~30年代、夕張を中心にした炭鉱街は
全国からやってきた炭鉱員で活気に満ち溢れていました。
その当時、彼らの『息抜き酒』として『北の錦』は
急激に出荷量を伸ばした経緯があります。

そういった華やかで良い時代は静かに流れ、
やがて二十万とも三十万人と云われた炭鉱員とその家族も消えていきました。

当蔵はその当時の繁栄の象徴である煉瓦や石蔵が
敷地に18棟も残されています。地元の方に我々の歴史の一端でもご紹介できればと平成7年から、立入禁止だった蔵の中も整備して
少しづつ開放しております。

あの炭鉱街はすっかり消えてしましたが、
常に命の危機と隣り合わせでいながら、
まさに日本のエネルギーを力強く黙々と堀り起こしてきた炭鉱員と
『炭鉱街の銘酒 北の錦』を心血注いで醸し続けた蔵人の執念が
この酒蔵に宿って、それが今もなお、
この酒蔵の佇まいが人を惹き付けるのだなと思われてなりません。

壮大な開拓魂が宿る明治の蔵

小林酒造株式会社は、 新潟県出雲崎より明治2(1869)年に渡道し、
明治11(1878)年には初代小林米三郎の父「伝四郎」手により
札幌市にて酒造業を開業しました。
その後の明治33 (1900) 年に現在の栗山に本拠地を移しています。

明治時代、北海道は極端な氷点下での酒造りを余儀なくされており
『北海道は寒すぎて発酵が停止するほど過酷な環境』
と囁かれるほど過酷な環境で全国からやってくる杜氏達を悩ませました。

そこで小林家の中興の祖、二代目米三郎は、未来のエネルギーである石炭での
酒造りに目を付け、郷里の新潟県から多くの瓦職人を呼び寄せます。

厳寒の冬、連日零下での酒造りを可能にするため、
この渡り職人が郷里から持ち込む「瓦の技術」 大正から昭和に跨る煉瓦造り、
そして石炭での熱を利用した安定した酒造りの技術こそが、
効率良く大量の蒸米や発酵温度のコントロールを可能にすると確信したのです。

そしてついに、二代目米三郎は10年の歳月をかけて、
この計画を成功に導いたのです。
石炭の安定した供給に恵まれた当蔵は、過酷な環境の北海道においても
安定した酒造りを実現し、炭鉱需要も伴って大きく成長していきました。
つまり石炭での酒造りに真っ先に目をつけた先見の明が北の錦が
今日まで歩んで来られた理由の一つです。

酒蔵にお気軽にお越し下さい

当社の特徴は、造り酒屋としては極めて珍しい西洋建築を取り入れたレンガ蔵・札幌軟石使用の石蔵の美観にございます。一万坪の敷地内に17棟もの蔵が点在し、築100年蔵としては全国でも有数の規模を誇っております。空知地方のレンガ建造物としては最大規模のものであり、一級の歴史的建造物として認定されています。

夏場であっても室温20度を超えない蔵内部は、衛生上の問題から10名以上の団体様に限って要予約でご案内させて頂いております。
これら小林酒造の所有建築物を有効に活用し、蔵元として地元の皆様の声に耳を傾ける姿勢を具体化させようという考えから平成8年に売店・試飲処を併設した『北の錦蔵元記念館』を完成させました。

記念館は約5000点ほどの徳利・猪口・蔵人の生活道具等を中心に構成した展示施設であり、昭和19年に小樽の銀行をモチーフにした建造物です。
年末年始を除いて10時から16時(夏期は17時)まで無休で営業しております。また大正・明治蔵の酒蔵見学を予約制で行っており、夏場には記念館と蔵見学の1時間程のコースを中心に大好評を頂いております。

また平成26年7月にオープンした蔵元の生家 小林家もオープン。北海道でも最大級に入る古民家で甘酒などの喫茶を楽しめ、有料で小林邸の内部を説明付きでご案内しています。

さらに敷地内には、昭和元年建設の古民家で手打ちそばが楽しめる『錦水庵』がございます。河川敷ではコロッケやハンバーガー、カレーをはじめとしたファミリー向けの飲食店『レストラン 蔵』を営業(冬期は休業)しています。テラスから雄大な夕張川の景観や地元名物である夕日を背景にお酒と料理が楽しめるように設計されています。

また、季節のイベントとして4月の第2土日に恒例の「酒蔵まつり」を実施し、一般個人のお客様向けの蔵開放を行っています。当社敷地内には地物を中心とした食べ物屋台が立ち並び、お客様には体験型蔵案内、この2日間限りの『生にごり酒』を振る舞ったり、郷土芸能を楽しんでもらったりしており、例年約2万人以上のお客様でにぎわっております。
老舗蔵としての歴史的側面と観光蔵としての新しさを兼ね備え、常に時代を的確につかんだ景観作りに精一杯尽力していく所存でございます。

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